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執筆者の写真尾飛良幸DMT

今が最新の自分ですか?

今年50歳になった尾飛ですが、これまで夢中で突っ走ってきた私に、一つ気になる言葉が出てきました。


それが「年相応」

これって、なんでしょうか。


年相応な「年収」「肩書き」「雰囲気」「体重」「話し方」「服装」などなど。

これは平均値から導き出されたものなんでしょうかね?


 

私は、音楽に例えないと考えられない人なので、「年相応」を「作曲」に置き換えて考えてみます。


年齢が上がると、作る曲の「テンポ」が遅くなります。

また、歌のメロディーの高さが低くなります。

そのほうが自分では「いい感じ」に聞こえます。


でも、若い人からすると「退屈でつまらない」と感じます。

なぜなら、若い人たちの聞いている音楽は、もっとテンポが早く、歌の声が高いからです。

これは、自分が学生時代だった頃の事を思い返せば、すぐに理解できます。 自分が聞いている音楽と、親が聞いてる音楽が全然違う。


「なんて古くて時代遅れの音楽を聞いてるんだ!!」と、思ったものです。


それでも、仕事として「聞く世代が若い場合」があります。

この時は、あえて「テンポを早く」「キーも高く」して作るようにします。

そうすると「いい感じですね〜」とOKが出ます。


20代半ばの尾飛良幸

 

その時気づくんです。


自分のテンションが、年々下がってきていることに!!!!


体の元気は一緒でも「勢い」が違ってきている。

それを世間では「落ち着いた」と言うのでしょう。

でも、作曲家としては「古い」になる。

これはなかなか苦しい現実ですよ。


そこでね、話は「年相応」に戻るわけですが、「似合わなくなる」が一つのキーワードになるんじゃないかなと思うんです。


高校生のように、ギターを一人でかき鳴らして、スマホに自作曲を録音する。これはいつの年齢になってもかっこいいと思うし、「似合う似合わない」はないと思うんです。


でも、ある程度の年齢を重ねた方が、Tシャツと敗れたジーパンで、路上で歌う、となるとどうも違和感がある。もちろん「勢い」はありますね。

でも「似合わない」と思うんです。

(もちろん似合う人もいます)



例えば、若い頃のままのメイクをずっとし続けている、ある程度の年齢のかた。

それが「似合っている」のであれば良いのですが、当然肌の質感も変わるし、色々体が変化しますよね。

それでも、同じ化粧品と同じメイクをすると言うのは、どうも「似合わない」いや、「ふさわしくない」と感じます。

これはすでに「勢い」ではなく、慣例に近いのかも。



やはりその年代の肌にあった、化粧品やメイクを選ぶ方が、素敵にお化粧できると思うんですね。そういう方は、とても綺麗です。その方の存在そのものに「勢い」がある。



それと同じく、どんなことでも、自分の「年齢」ではなく、体の質感、身のこなし、佇まいなどを考えず、若い頃の自分を追い求める、と言うのはどうも「似合わないこと」なんではないかと思うんです。

今の自分をより良くする「勢い」はそこにはありません。

過去の自分を追うだけの、守りの気持ちかな。


ここで大事なのは「年齢」ではない、と言うところです。


50代60代になっても、体の質感、身のこなし、佇まいなどが、グッと若いところをキープしているならば、それにみあったもので良いと思いますし、30代でも体年齢が年老いてしまっているなら、やはり同年代の人と同じようにしても「似合わない」と思います。


 

そう考えると、自分の年齢は上がっていくことは、自然の摂理として当然として、体も心も常に新しい自分として更新を続けて言うことが大事、と言うことになりそうですね。

それを「勢い」と言うのではないでしょうか。


自分が今、その更新に対してどのくらいの「熱意」を持っているか。

楽しくチャレンジできているか。


その辺りが、一つの鍵になりそうですね。

昨日の自分より、今日少しだけでも「勢い」をアップすると、未来は楽しく変わっていきそうですね。



尾飛のライブも、ぜひいらしてくださいね!




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