ここ最近、自己虐待と自分の価値について、感じたりお話ししたりすることがあり、自分の考えをまとめておこうと思います。
歌の練習をしていると、自分の声の出なさ加減にほとほと嫌気がさして「なんでいい声が出て歌が上手に歌える体じゃないんだろう」と自分に憤りを感じることが多々あります。
今、問題となっている虐待は世の中にたくさんあります。それはとても悲しい現状です。
しかし、そうして表に出てくるものは「取り締まる」ことができます。
「虐待」という事実を周りが察知し、警察や関係機関に連絡をする。
あるいは、被害者が勇気を持って周りに助けを求めることができます。
しかし「自己虐待」は、それを取り締まってくれる人がいません。
周りの人がいくら取り締まろうと当事者に声をかけても、その虐待をしているのは、ほかでもない自分の中にいる「自分」
そして自分の中には「自己虐待」を取り締まる人はいません。
自己虐待の加害者の攻撃は、際限がありません。
それは徹底的であり、そして一瞬も手を緩めることがなく、場合によっては行くところまで行きます。
どんな虐待や拷問よりも過酷だと、私は考えています。
誰も止めてくれません。
そして何より難しいのは、自己虐待は「本人に自覚がない」ということが多いと思います。
「なんでこんなことができないんだよ!!!」と自分自身に怒りを覚えることがあります。
それ自身が「自己虐待だ」ということに気づいてない。
時には、そんな虐待者に対して「負けてたまるか!!」と自分の中の被害者が奮起して、爆発的な行動や良い結果を出す場合もあります。
でもそれは、怒りに対する怒りの反発。
いつか破綻する時がきます。
やはり自己虐待は虐待する側が、自分自身を虐待していることに気づくしか、解決の方法はないのではないかと、私は思っています。
世の中には、数多素晴らしい「楽器」が存在します。
最近はビンテージギターを数百万で購入したり、名器ストラディヴァリウスが10億円以上で売買されたりしています。
では、歌を歌う私自身の楽器は、いくらでしょう。
10万円?100万円?それとも10億円?
いえいえ、人間の体は、値段がつけられないほど、高価で貴重な存在。
だって、全く同じものを「ロボット」として作るならば、値段なんてつけられないほどでしょ。
事実、ロボットはまだ人間の領域に追いつけていません。
子供たちと一緒に歌を歌い、ハーモニーを奏でるロボットなんて、この世に存在してません。
そう、私たちの体は、それほど超高価なものなんです。
ちょっとここでは、話をわかりやすくするために、あえて値段みたいなものをつけてみます。
例えば、自分という楽器を「100億円」だったとします。
もしも、あなたが100億円のピアノやギターをお店で買ってきたら、お家でどのように扱いますか?
その辺に置いておきますか?
ケースに飾っておきますか?
「もったいなくて弾けない」といういう人もいるでしょう。
でも弾かなかったら、お店のショーウインドウに並んでいる楽器を眺めているのと同じ。
そしてもし弾くならば、どう扱いますか?
私なら、とても丁寧に、愛情を持って優しく大切に扱います。
そして演奏するならば、より良い音が出せるようにすると思います。
もしも良い音が出なかったら、それは楽器のせいではなく「もっと練習していい音が出るようにしよう」と思うでしょう。
もしあなたが「自己虐待」をしているならば、それは自分というそんな素晴らしい楽器を痛めつけ、邪険に扱い、良い音が出ないのは楽器のせいだ、と言っていることになります。
100億円の素晴らしい楽器に対してですよ。
私が3000人の方のレッスンを通じて思ったのは
「素晴らしい歌声は、必ず出る!」
ということ。
もしもそれができないならば、それは「できない何か」をしているんです。
わざと「できない何か」をしています。
その「できない何か」をやめる、外すと途端に声は軽やかに出てくれます。
ではその「できない何か」をしているのは誰か。
それは紛れもなく「自己虐待」をしている加害者です。
楽器は「鳴ろう」としています。
でもそれをさせないようにしているんです。
あなたの楽器が問題ではなく、できない自分をいじめ抜いている自分自身が、楽器の能力を封じ込めています。
自己虐待の要因として「他の人と比較してしまう」ということがあります。
『なんであの人みたいに、歌えないんだろう』と。
でもそれは、あなたとその人の楽器の種類が違うだけ。
人の顔がそれぞれ違うのと同じように、他人の楽器と自分の楽器は違います。
高音が伸びやかに出る楽器もあれば、大きい音が出る楽器もあります。
大事なのは、自分が手にしている楽器はどんな楽器なのかを知ること。
そしてそれを他人の楽器と比べないこと。
自分も他人の楽器も、みんなどの楽器も素晴らしく価値のあるものであることは間違いありません。
自分の楽器に悲観的になることもなく、人の楽器を羨むこともなく、自分も周りの人もお互いの楽器を理解し尊重しあい、そして一緒にアンサンブルをすることができれば、これほど平和的で豊かな時間や空間はないのではないかと、私は思っています。
取り締まる人がいないだけに、非常に難しい「自己虐待」の解決ですが、こういう観点から考えてみれば、まずは頭でその解決の筋道は理解できるのではないかと思います。
あとは、それを常に意識し、改善に向け修正する日々の習慣。
何事も、コツコツと積み重ねたことは、必ず良い未来を作ってくれると、私は信じています。
尾飛良幸
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